私の子供 の 頃ろの 家族の 思 い出 は、あまりありません。 母 は 体が 病弱で、病院 に入・退 院 を 繰 り 返 し、ほとんど 家 に 居 ることが な く 父は、朝 早 く から 晩 まで 仕事で 出て いる ので、私 は 幼稚園児 の ころの 事 は、覚 えていません。 け れど、あとで 聞 いた 話 し は、朝 、幼稚 園 に行 く の に、 5 歳 上の兄 が 学校 へ 行 き ながら、僕 を 幼稚 園 に送 り 届 けてく れ た そうです。 陰 なが ら 母 は、幼 稚 園 の 園長 さん に 「お 願 いしてあった ら し く」 お遊戯 会 ・クリスマス会 その 他 は、親 代わり に 面倒 を してく れた そう です。 その 名残 が、白黒 の 写真 に、園児 と 先生の 集合 記念 写真 と 行事 写真 が 5 枚 残 っています。 それでも 母 は、僕 の 小学校 に入学式 には、手を つな いで、 付き添 いで 来てく れたのを、(嬉しかった ことを ) 今でも 覚え ています。 ただ 子供 ながら、いつも、思うことは、近所 の 周 り の家庭 では、おじ いちゃん・ おばあちゃん が 居 る の になぜ、 家 には、いな い の かと、居 れば、こん な に 寂 し い想 いを しないの にと、 同 級 生を う らやま しく なる のです。 家庭 の 事情で 小学生 〜 中学生 の 時期 には、遊園 地 や 遊 び に 連 れてって くれた事 が 無 いので、子ども の 頃 の 家族 との 想 いで が な い の です。 母 は、いつも、病弱 な 体でも、朝 の早 い仕事を しつつ、僕に ( 寂 し い想 いを させて、悪 いな 〜 ) と 言 い、必ず 学校 の 行事、運動会 ・ 参観日 には、欠かさず 来て くれました。 遠足 や 修学旅行 には、お にぎ り を 握って くれて、食べ き れな い ほどの お菓子 を ナップサック に 詰 め 込 んで く れ たのを、 今 も 忘れ は しません。 母 は、趣味 も 得意 なことは なく、唯一 お花が好きで、仕事先 のお客 さんから 花の 種や 苗を 貰ってき ては、植 えて、花 が 咲 くのを 楽 しみ に して いま した。 うちの家族 は、隠 し事 が 無 く、妻が 私 と結婚 した 時 から、 父・母 が 妻 を ( 娘 のよう に) 言 い た い こと を 言っては、 口 喧嘩 を しつつ 仲良 く 暮 ら して いま した。 そんな、母 が 体 の持病 で 腸 ヘルニア が 腹膜 を おこし、大 手術 を した 後、仕事 を 辞 めてから、自分 の 自由 の事 で、 過 ごしているう ち に、その 時分 に (花の 興味 も) な くな り、 性格 も 怒 り っぽ く な り 変 わった な、と 感 じる よ う に な り ま した。 でも、妻 のことを、世間 では、「嫁 さん じゃ な くて」 娘 さん 見 た い に 仲 が 良 いねと、言 いう のです。 買 い物 に行 く にも、一緒、子ども 連 れで、海 ・水族 館 ・動物 園 ・デズ ニーランド へ 遊 び に行 く に も いつ も、一 緒 で した。 しか し、母 は、昔から 勝気 な 性格 で、近所 の人 に 気 にく わ な い ことを 言 われる と、我慢 しないで、ガ 〜ン と その、 ズバリ 怒 るので、人 つ き あ いは、余 り な くて、日頃 は、 テレビを 見て 花を 植 えて 楽 しむ だ け で、あと は自分 の 好き な お菓子を 買 い に 行っ たり、孫 にも よ く 食べなと、 可愛 がって く れ ま した。 その 時分、父は、体 の 調子が おも わ しく無 く、嘔吐や腹の 痛さを 訴 えているの に、母 は、「 視 っているも んか ・・・?」 と 無視 を するよう にな り、何 と 無 く、変 だな 〜と 感 じるよ う に な り ま した。 父の 病気 が 半年の 間 に 肝硬変 〜 肝臓 がん へ と急激 に 進行 して あっけな く 他界 死て、行 ったこと に、母 は、かな り の ショック だった ので しょう。 急 に、感情 および 人格 変化が 表 れるよう に な り ました。 その 時分 に は NHK テレビ で アルツ ハイマー 病 の 番組 を やって いました ので、うす うす この 病気 じゃな い か と、予 知 していました。 昼間 は、私は、会社 に行って て、妻 に は 母 の 面倒 で大変 だったと 思 います。 部屋 におとな し く 居 る と、思えば、いつ の 間 にか 外へ 「 徘 徊 」 して、心 配 して いたこと が あり、 行った 先 で、道 の 溝 にハマ リ 転倒 して,救急車 に 運 ばれ、 病 院 に 呼 ば れた こと も、近所 に出掛 けては、うちの 嫁 が う るさ い こと 言って、ご飯を く れな いから、と 愚痴 を こぼし 迷惑 を 掛 ける こと が 多数 あ り ま した。 平成12年 頃は、世間 では、「認知症」の 病気、事態 をあまり 知 ら れて いな いら しく、、病気 だと、理解 さ れず、家 の人を 悪 く言 われ、日 に日に 家 の 人が 手 に 負 えな くて、仕方な しで、住み 慣 れた 家 を、一旦 そこから、出て、賃貸マンション を 借 り て、精神 病院 の 認知症 科 へ 入院 さ せ ま した。 一年 位 病院 に お 世話 にな り ましたが、入院 費 が、一ヵ月 約、17万 円 掛 り、これ以上 お金が 続 かな いと、やむ得 なく、 家で 見 る こと に しま した。 部屋 に ばっか り こもっていても 良 くな いと、地域 の 福祉 施設 に 相談 して、認定 を も ら い デイサービスへ 行 かせ よう と、ケア マネージャー に お 願 い した ところ, 訪問 審査 に 来ました。 しか し、認知 症 の 症状 は、良い 時 と 悪 い 時 と 変動 が 激 しくて、訪 問 に 来 たと き は 極 めて 落 ち着 いて いて、マネージャー は、ちよ っ と ボケ た だ け しか 理解 さ れず。 困難 な 言葉、「 嫁 さん が 面倒 を 見るのが 嫌 だか ら デイ サービス に 行 か せ た い の」 と 角 が 立つ 言葉 に 妻 は、腹 が 立った と、今も 忘 れ は し ませ ん。 し ば ら く して、もう 一 度 審査 のやり 直 しを して、年明 けに やっと、審査が 通 り、デイ サービスへ 行 く 手 続 き を しま した。 週、2 回 の 利用 が 決 まり、本人も 楽 しみ に してい ました。 しかし、夜 に なると、症状 が 悪化 し,幻覚 や 騒 い たり 知 らな い 内 に 徘徊 して 困らせる。日々が 続 きました。 マンションか ら住み慣 れた 家まで、2 ` ありますが、その日 は 何を 思 い出 したのか、雨 が 降っているの に 関 わらず。 お昼過 ぎに いつ の間 にか ドア の 鍵を 開 け、出って行って しまい。 いつ も なら ば、近 く に 居る ものだ と、待 ってい れ ば 帰 って くる の だと、心配 して いる う ち に、晩の 6 時 に な り、私も 仕事 から 帰宅 して、探 し に 行 こう と したら, 元、住み 慣 れた家 の 向かい の ○○さん の家から電話 が あり、あんたち、お母さん が、雨 に濡 れて、震えている のを、 見つけ、うちの土間 に いら している から、す ぐ に 自動車で 迎 えに 来てく れる かなと、連絡 が あ りま した ので、直ち に妻と 私で、迎 い に 行 きました。すると、か わ いそう に、 冬 の 冷 た い 雨 の中、 てっき り 傘を さ して、出 って行 っ た と 思っ たの に、傘 は持って いな い状態 で、ず ぶ 濡 れ で した。 せめて、近所の人が、ストーブか何 かで、暖めてく れたら、と どの位 の 時間 が 掛 かったのかは・・・?電話 を くれたのは、 ありがたいですが、母 より 年上の 老夫婦 なの に、 この土地 を 離 れる と、こんな にも、冷 く なる も ん だ と、事情も 分か らず、 「お前ッチは、親子ケンカ を したのか!」と 言った言葉 にいら立 ち が 隠 せません で した。 妻も迎 い に行ったの に、母は、「幻覚で」 孫の名前 ○○さん ありがとうね!と言って 車 に乗 り 硬直 している 体が 横 たわ り、マンション に 帰 り ました。直ちに、着替えを させて、部屋を 温めて、落ち 着か していました。 母 は、お風呂 に 入り た い よと、妻に 攻めて いたよう ですが、みんな が入った あと、入っ てと言っていました。 ご飯も たべて、テレビを 見ているうち に 9 時 になり、私は、2年前 から、会社 に行 く前 にアルバイトを して いる ので、4 時 には 起 きな ければ ならな いので、家族 より 早 く 就寝 する こと に しま した。 どの くら い 経ったのか たいへん!どうしょう。 お父さん 起 きてよと 「騒 ぎ出す」 声で、 目が 覚 めて、事情を 聞 くと、おばあさんがお風呂に入ったきり チットモ出てこな い。 母は、日頃、長湯 で いつ も の こと だ と、 思 い それ に しても、不審 に 思 い。 妻がお風呂場に行き、声をかけて、みると 返事が 無 くドア を 開 けて、覗 いてみると、浴槽の中で、横 たわってふさって 息が 無 いのを 確認 して、咄嗟 に浴槽 から 持 ち上げ て、 出 して 洗い場 に あお向 けに して、娘 に心肺蘇生 を しても らい、妻は、救急車を呼んだと、家族のもの は、オロオロ して いるう ちに 救急車 が 到着 してその時も、母は、息が無くても 救急隊員んの方 は、病院 に着 くまで、仕切 り な く AED と 心肺蘇生を してく れたの を、今でも、ハッキリ 覚 えています。 病 院 に到着 して 医者が 救命 な 処置をしましたが、お風呂で 倒 れてす ぐに 気 が つ けば、助 かったの に、残念 な が ら、 助 かりません。 心筋梗塞 で、お亡 く な り ま したと、聞 いた 瞬 間、私 は、足が すく んで、人前 で 泣 いた ことが 無 いの に、男泣 きで、泣 き ました。 3 年前 に 父を 亡く して、間 もな く 後を 追うよう に、73 歳で 世を去った。 これも、これ以上 迷惑 を 掛 けた くない気持 ち の 母 の 運命 かも 知 れな い。 た しか に、父と母 は、善 い人生じゃ なかったかも 知 れませ んが この 素晴 ら しい!地球 に生まれてきて、感謝 し、ど ん な に辛 い事 が あっても、頑張ってきた 存在感 は、いつまで も、家族の 心 の すみで、残 る で しょう。 みなさん、いつも、私の ブログに 観覧 して 頂き、励 ましの 気持玉を くだ さって あ り が とう ござ います。 ブログの場を 借 りて、誰 にも言えな い 「家族日記」 を 書か せてもらえる チャンスを いただき、読 んで も らえ た こと に 喜 びを 感 じ 感謝 しており ます。 29 年 間 の年月を 自分の自由が 出来な いで 父・母 の世話 を してく れたこと を, 父・母 は あの 世で、喜 んで いる と 思 わず に はいら れ ません。 父・母・が 他界 した、年月から、16 年 も 経った 今、思 うと、 た しか に 介護 や神経をつかって その とき は、大変 だった かも しれな いが 妻も 私も 尽 く して来 た こと に、,な に も 「悔 いは 残っていません。」 妻 には、鳥 小屋 の鳥 の様 に看病で 縛 られ、家 を 守って くれたから こそ、悔 いの 無 い介護 と、今の生活が ある もの だと、感謝 で 一杯です。 私が ブログを 書 いている の は、 知っていますが、「家族日記」 を 書 いて いる ことは、知 り ま せん。 ブログの中 「家族日記」 妻 に ![]() と、残 します。 みなさん、「悲 しみが 多 いほど人には優 しくなれる」 ブログ 家族日記を 連載で ご覧 いただき あり が とう ござ います。 誰 にも 話 せな い 悩 みや思 い出 は、恥 か しながら、読 ん でも ら い ま したが、苦労 を して来 た 経験 から、少 しで も、 困っている 人 に お役 に立 てれ ば 良 いと、家族 日記 は、 終 わりますが、今も苦労 は、尽 き な い け れ ど、ブログ は、 今後 も、続 けて 行 き ますので よろ し く お願 い致 します。 今回 は、コメント棚を 開 いています。感想 がございましたら、 円了な く、コメント を く だ さ い。仕事の 合 い 間 で、返事 は 遅 れます が 必ず 返事 はします。 今日、も 観覧 して頂 き ![]() ![]() http://www.uta-net.com/movie/115399/ |
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こんばんは♪ |
まきちゃん 2016/10/21 20:56 |
素晴らしい奥様に出会えましたねぇ〜 |
miki 2016/10/27 00:04 |
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まきちゃん へ 2016/10/28 18:07 |
朝 晩 はめっきり寒くなって参りました。 |
miki さんへ 2016/11/02 19:15 |
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